荒川のホタルへもどる
荒川の歴史
建久8年(1197年頃)荒川の地に荒川太郎がいて、荒川を領有していた。
荒川太郎は薩摩郡本地頭、平忠友の勢力と戦った。串木野を領地とする串木野三郎忠道と羽島を領有する平忠重(忠友の弟)の二つの勢力間で圧力を受けていた。やがて、戦の末串木野三郎忠道と平忠重に荒川の領地を明け渡し、荒川太郎一族は戦死した。
後に、平忠友が現在の薩摩郡の一部(樋脇・永利など)から串木野・荒川・羽島を始めた。以来、平忠友・成枝三郎・若松四郎と領主が続き、忠兼の時代に国分次郎友貞と忠兼が領地争いをし、北条英時の裁判によって全ての土地を友貞に売り渡した。
これ以降、荒川・羽島は友貞の子孫代々の領地になり、文明6年(1474年頃)後士御門天皇川上左近将監忠塞が「串木野の内30町」を領有し串木野の地頭となる。
※参考文献:荒川小学校創立百周年記念(荒川小学校創立百周年記念 昭和54年7月)


鹿児島県串木野市には6つの川が流れています。最も大きい川は「五反田川」で次いで宇都川、金山川、深田川、八房川、荒川川です。
荒川川は、長さが短く水量も多くありません。このような小さな川でも、自然のホタルが数万も見られるのは、荒川川を守る地元の人たちの努力があるからです。
ここ、荒川地区では3年にわたって「ホタルツアー」が行なわれていますが、たくさんのホタルが見られるようになったのは、5年ほど前からです。
鹿児島県地図 串木野全体から見た荒川

1.人口26,350人程の海と山に囲まれた串木野市 3.串木野市の中心から車で約10分
2.東シナ海に沈む夕日がとても綺麗なところです 4.ホタルの生息する荒川川があります

今から30年程前、荒川地区では農業改善事業によって田んぼを広げて、真ん中にあった川を端の方へ動かし、小さくするような工事が行われました。その時に、それまで荒川川にたくさんいたホタルがほとんど見えなくなってしまったそうです。
その後、田んぼの面積が広くなったことにより、農薬散布をヘリコプターを使って行うようになり、空から散布した農薬の影響で、本来いるべき自然の虫たちも死んでしまったそうです。もちろんホタルも育たなくなり、益々ホタルは見られなくなってしまいました。
このままではいけないと考えた荒川の人たちが、ヘリコプターの農薬散布を止め、前のように手でまくようにしたそうです。その後、地元の皆さんが、壊れた自然を取り戻すために、様々な努力をしたそうです。その甲斐あって昔のように、自然のホタルがたくさん生息できる環境を取り戻しました。このようなことから、たくさんの人たちが自然を大切に、命を大切にする気持ちを持ってほしいと荒川では、3年前からホタルツアーを行っているのです。自然を壊すのは簡単です。でも、一度壊れた自然を元に戻すのは、とても難しく時間がかかります。
ホタルの天敵は人間だと繁田さんはぼくたち、わたしたちに話してくださいました。これから先何十年もずっと、きれいなホタルを荒川で見ることができるように、一人一人が身近なことから自然を大切にする努力をしていかなければいけないと思います。ホタルを守るためにはどのような努力をすればいいのか、それを考えるのが、ぼくたちわたしたちのこれからの宿題です。


昭和37年12月発行の「串木野郷土史」にこのような興味深い資料が載っていました。
◆農業の現状(耕地面積)◆
  鹿児島県では畑が田の2倍近くを占めているのに、串木野では田の方が多いというのが特徴。
  総面積はそう多くない荒川が一戸あたりの面積が本県の平均以上である。

◆土地の利用状況◆
  水田の2分の1が一毛田(※排水が悪くて麦などの裏作ができない湿田)であることは実になげかわしく湿
  田(※水はけが悪く,つねに水けが多い田)その他土地の条件が良好でないものの割合が高い。
  用排水路を整え暗きょ排水(※湿田で、土管をうめて水はけをよくすること)やその他土地改良を行う必要が
  ある。土地をうまく利用していくことは農業を経営する上で重要なだけでなく、特に耕地面積の狭い
  串木野ではその必要を強く感じるので、土地改良に努めるべき。 
  ※参考文献:串木野郷土史(串木野市教育委員会 昭和37年12月)

繁田さんのお話にあった「農業改善事業」が行われる約12年前の資料です。農業の活性化のためには土地改良が必要で、特に串木野の中でも田んぼの面積の多い荒川では、上記のようなことから農業改善事業が行われたのではないか?とこの資料から推測しました。人間と自然の共存はとても難しいですね
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